物事の今を現す魅力とは実は「らしさ」の対角にあるもの。
今、「らしさ」と言われているものは、
メンバーのもつ個性、グループの集団としてのらしさだともあまり考えにくく、
楽曲や打ち出された戦略に向けての言葉だと思っているところがあって、
「らしさ」と簡単に括られる内容にはいまいち乗れてないところがあります。
それは「らしさ」とは更新されていくものだと思うから。
妹分(的存在)という立ち位置、
多くのインディーズ期の楽曲(ヒャダイン曲と言い換えてもいい)*1や、
そして「キレのないダンスと不安定な歌唱力」というキャッチフレーズ、
これが所謂「らしさ」という言葉を表していると思っているのですが、
今、どれをとってもやっぱり彼女たちとの乖離を感じてしまいます。
この全ての語群は既に古くて正しい意味を持たず、
上手くアップデートをかけられていないピント外れな言葉たちであるように思えます。
それくらい彼女たちは変化・進化・特化していると思います。
既に古いという言い方をしたのは、
ある時期はそれぞれ正しく彼女たちを表していたと思うし、
その時々でまさしく彼女たちらしかった言葉たちだとは思います。
とはいえ、このいまだに使われ続けている
この語群が体現するグループはもう既に存在していないと考えられ、
今この存在していない「らしさ」に惹かれた人がいたとしたら、
もう一度よく今を見直してみるのもいいかも知れません。
このグループはこんな単純なレッテルで表されるようなものではなく、
複雑な形をした多面体であることに気付くのではないでしょうか。
それぞれが魅力を持ち、そして大きな力を蓄えてきていることが
すぐに見えてくるでしょう、それは当然完璧なものではなく
危うく、さらなる成長を待たなくてはならないものかも知れません。
でも、それはオリジナルの魅力を持っていると思います。
比較対象を必要としない魅力です。
この「らしさ」を表す語群はファンに対する言葉ではなく、
この輪の外側への興味喚起を促す為の言葉であるとは思っています。
しかし、いつまでも間違った情報の刷り込みをしていていいとも思えません。
折角新たに興味を持った人が、そのレッテルで、
一枚フィルターをかけてみてしまっていることが多いように思います。
一度何処かでそのフィルターを外してみることをしてみないと
本来の姿を見落とす事になって、表層的な魅力にしか気付かないのではないでしょうか。
「らしさ」は更新されていかなくてはなりません。
この輝く多面体はいくつもの欠片が集まって形こそ歪かもしれませんが、
パズルのように複雑に関わりあいながら塊となって光を放っています。
いつからかいくつかの大きなピースが欠けたまま、それを補うように
さらに大きな塊となり多面体を形成する欠片のひとつひとつは輝きを増していると思います。
歪であれば歪であるほどにさまざまな光を反射していきます。
まず一度全てのフィルターを外して見てみてください。
キャッチフレーズよりも、与えられたイメージよりも、
もっと違う何かが見えてくるものもあるんじゃないでしょうか?
数々の「らしさ」に隠されたこのグループの多面性が。
もう妹分(的存在)だから見てやろうみたいな変な上から目線はもういいかな?
型にハマった人真似の応援*2もいらないんじゃないかと思います。
同じ国、同じ組織で活動している限り、規模が拡大していく過程
という部分では、同じ会場も使うでしょうし、似たような展開にもなるかと思います。
しかし、もう何年も前から道は分かれています。
そろそろ気付いた方がいいかなと思います。
パフォーマンスの拙さを見て楽しむような状況からは
既に脱していると思うし、そういう意味で楽しむ為には、
ステージから垣間見える綻びを探す作業が必要になると思います。
拙さではなく歪さを楽しむという次元に来ているという風に考えています。
あ、不安定な歌唱力については否定しきれませんでした。
とはいえ、全ては個人の妄想ですし、
誰もこんなことサッパリ考えてもいないかもしれません。
しかし人は多面体です、こんなことを考えてる人間も居れば、
ペンライトを携えてカラーギャングみたいな格好しているのが正しいのだ
という人もいるでしょう、それは私にはわかりません。
これは強制でも矯正でもありません、ひとつの提案です。
最後にもう一度、物事の今を現す魅力とは実は「らしさ」の対角にあるもの。
以上です。