ちょっといいたいだけ

主に私立恵比寿中学とukka(ex:桜エビ~ず)について書いています。

ぼんやりとした光の向こう ~ステージ上1センチの世界~

その分と言っては何ですが、普段なかなか見れない、いろんなものを見る機会がありました。
そこで普段と違うステージを見ていて、ぼんやりと頭に浮かんできたことがありました。
それは、自分が「アイドルに求めているものは何か?」です。

ここからは本当に自分の中でのイメージの話になりますので、何言ってんだよって思うと思いますが、ここから先はまあ人となりに興味があったらで。

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自分の場合、「好きになるもの」っていうのは、特にこれというイメージがありません。
「好きなもの」という型に合ったものを選んで見ているとはいうわけではないみたいです。

とはいえ、好きなものには当然、その容姿であったり、曲の傾向であったり、さらにはその思想であったり、ある程度好みのアウトラインはあります。

このアウトラインはむしろ、「好きじゃないもの」を選別していく基準として使うことの方が多いです。
好きじゃないもの以外は嫌いじゃないし、嫌いじゃないものは概ね好きです。
いうほど嫌いなものは多くないんですよ。

次も見てみようというところで、一番引っかかるのは「なんかすごい」というところ。
自分の理解を超えたところの感情が出て来た時にグっとのめり込みます。

ある日、その「なんかすごい」と思う理由がちょっとわかった気がしました。
「なんかすごい」の判断基準になるもの、それはステージから足が浮いて見えるかどうか。

当然、本当にステージから浮かんでるアイドルなんてものは存在しませんので、いかにステージから浮いているように感じるかという部分がとても重要だなと思いました。
例えばちょうど1センチくらいステージから浮き上がって、足音も聞こえないような感じの子たちが一番好きです。

その1センチに奇跡が詰まってると思うから、そこに期待して見続けることができます。

奇跡が起きる、そういう不思議なものを見ているつもりだし見ていたい。
どうせだったら自分が信じた奇跡が見たい、ただそれだけです。

好きも嫌いも結局は女の子のふわふわしてる感じっていうのにひかれているんだと思います。
それは自由に空を飛べるワケでもなく、地面を踏みしめるのでもなく、ホンの1センチだけふわっと浮き上がって、曖昧な存在であって欲しいのです。
その曖昧さを捨てるときに何者かになっていてくれたら一番いいのかもしれません。

自分はどこか冷めているところがどうしてもあるので、アイドルはその本質を保ったまま永遠に続けることはできないと思っています。

アイドルはいつの日か女優になり、アーティストになり、タレントになり、また別の何かになる時が来る、それは成長、変節かもしれないし、引退の時かもしれない、ふとした瞬間に消えてしまうことだってある。

その時アイドルとしての季節が終わるという風に考えています。

だったら少なくとも自分では、いつしかそういう時が訪れた時に、これまで過ごしたアイドルという季節が本人の、そしてファンにとってもいい思い出になってほしいなと思ってます。

自分が感じたその曖昧な1センチから、どこまでも手が届かないところまで高く高く上がっていくのか、地べたに足を下ろして歩いて行くのか、それとも目の前から忽然と消えてしまうのか……全ては神のみぞ知るというところなんでしょうね。

その為に客である自分が何かできるかっていうのは、正直な話何もないです。

可能性は否定しませんが期待もしません。

例えば、直接話したりふれあう機会が訪れた時に、出来る限り嫌な思いをさせないという事くらいです。
それだって当然彼女たちの人生に対してナノレベルの欠片ですらないかもしれないですが、そんなものだと思っています。

人の思いというものは、いつだって一方通行なものです。
それは受け取った相手の解釈次第ですから。

彼女たちが頑張っていれば、こちらが勝手に奇跡を感じることもあるでしょうし、逆に奇跡だって起こせると思うんです。

そもそも偏執的なタイプではあるので、できれば自分のタイミングで出会い、彼女たちが奇跡を起こして、曖昧さを捨てて行くまでを見ていられればいいですね。

そんな私はステージとの彼女たちの間にできる奇跡のスキマ的なものをこれからも見ていきたいなと思う次第です。

20130531 02:10

大人はわかってくれない

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  • 発売日: 2014/04/01
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