ちょっといいたいだけ

主に私立恵比寿中学についてブログを書いています。

6本のハート型ペンライトから、光の海へ

明日の中野サンプラザに向けて、今の段階で考えていることを書きたいと思います。

中野サンプラザの客席を埋めるであろうサイリウム、そしてペンライトについてです。

思想的に相容れないものは当然ありつつも、眼下に広がる客席を見た時に思うところは必ずあるんだろうなと予想をしています。2階席なのです。

それは「なんだこりゃ?」って思いが強く出るかもしれないし、「綺麗だな」って思いが強く出るかもしれません。
自分ではそういう類いのものを持っていくつもりもないし、現地で買うこともないと思います。

正直言うと私はペンライト振る系の人が前に来るとひたすら手を上げっぱなしでステージ見辛いし、よく殴られますので鬱陶しいと思っています。

ただ、中野サンプラザの客席に広がる光の海を見ながら、自分達を見に来たファンの放つ光に向かってパフォーマンスをする、これは本人たちも望んで(憧れて)いたことなんだろうと思います。

私は恐らく藤井校長が赴任した頃にたまたま見はじめているみたいなんですが、最初に見た時は真山さん以外はまったく印象に残っておらず、その時に歌ってた「なにがなんでも」が懐かしいし、いい曲だからまた見に行ってみるかーくらいにしか考えていませんでした。その時は握手もしていません。その後、次にちゃんとステージが見れたのは12人になった後だったと思います。

その頃のメンバーは皆さんご存じのように、6本のマイクと6本のハート型ペンライトをリレーしながらパフォーマンスをしていました。
客席にはホンの少しのペンライトがあったかもしれません。売ってましたし。
でも、会場内にはホボその6本のペンライトしか光るものはなかった。光はステージの上から降り注いでいました。そんなエビ中も良かったですよ。ただただ楽しかった。
客も少なければ会場も小さい、そんな牧歌的な空間(というほどほのぼのはしていなかったけど)は心地よかった。

それを思えば、今の会場の風景はメンバーの目には感動的に映るんだろうなということは理解できます。
9人となってメジャーデビューして、ペンライトを持ってステージに上ることはなくなりました。光を発するのはステージから、ステージの下へと移って行きました。

ただ、あの頃の事を引きずっているだけではありませんし、それだけだったらもう行くの辞めてます。
まだまだメンバーと同じものを見て感じて、それを前にパフォーマンスする姿を見たいという思いがあります。

すでに同程度の動員が可能なZeppを単独で成功させていること、武道館や稲佐山、グリーンドーム等の大会場にも出演していること、そして今回のチケット、一部ライブビューイングすら売り切れていることを考えたら、客席をファンが埋めることがわかっているし、さらに次の規模の会場へ思いは至っているかもしれません。

しかし、実際に目に入る光景に対しての思いはまた違うだろうと思います。
その日集まったファンへの思いを口に出すこともあるでしょう。

真山さんは会場の規模が増える度に埋まらないんじゃないかと心配したというコメントをしてますが、もうそんな事言わなくていいでしょう?自信を持って!(前山田スタイル)

エビ中に「フレ!フレ!サイリウム」という曲があります。
上記のように光り物が好きではない私はこの単語がタイトル、歌詞に入っていることで、手放しで好きだ、いい曲だと言えないわけですが、この曲では、

フレ フレ サイリウム
ステージを照らして
今日よりも輝ける未来へ

サイリウムはファンが光る為のものではなく、ステージを照らすものとして描かれています。
その光に照らされて、さらに未来への道しるべとなるものがサイリウムの光です。

せっかく光るんだから、そういう思いを心の片隅にでも置いてサイリウムを振っていただければ、後ろの人の顔面に当たることも、前の人の頭を殴ることもなくなるんじゃないでしょうかね?あなたはステージを照らしているんです。

似たようなテーマを歌っていると思われる、「スターダストライト」という曲もあります。
この曲では、

パッ!と景色が広がっていく世界は突然色づいて
いつかはこんな気持ちにも慣れてきちゃうのかな?

と歌っています。自分の背中を押す存在だったものに慣れてしまい、感覚が麻痺する事への恐怖を感じています。

ただ、その後、

いつだって僕ら手の鳴る方へ進んでいくから
この瞬間どうか永遠に!色褪せないで

手の鳴る方(拍手)へ導かれていく、その瞬間それは色褪せることはないという今はもう絶滅寸前の拍手系へのメッセージに続きます。

リズム感に大きな問題がある方は置いておいて、その手に持ったペンライトを一度下ろして、リズムにのって手を叩いたり、いいパフォーマンスに拍手したりするみたいな応援のスタイルもあるんじゃないかなと思います。

一年半前、ある人から「光っていないのはいないのと一緒だ」と言われたことを今でもたまに思い出します。
それから自分のスタイルが何か変わったか?と言われれば特に変わらず、普段サイリウムもペンライトも持つことはありません。でも、思いは相手に伝わらなければ無であると言うことは理解できます。しかし、サイリウムを振り、声を枯らして応援することも私が思う応援にも意味はあると思っていることも確かです。

でも、サイリウムを振るから応援なんだ、大声を出すから応援なんだ、踊るから、跳ぶから応援なんだとは思わないでほしいなと思っています。スタイルは人それぞれなので、(摘まみ出されたり、出禁にならなければ)自由でいいと思います。私を含む周りの人に迷惑がかからないようにだけはしてもらえたらなって感じです。